私と店長と剣寿司

今回は志向を変えましてちょっと私と店長、剣寿司の昔話などお話します。
私と店長の大須賀さんとの出会いは、昭和49年私が2才店長が14才の時でした。ちなみに二人は子年です。当時の生活スタイルというと、お寿司は高級な食べ物で一般家庭では家にお客様が来たり、ちょっとしたお祝いの日でないと中々食べれなかったそうです。(店長の家では!)

そこで、学校が休みに入りますと剣寿司の出前のバイトがあることを聞きつけた店長が剣寿司にやってきた、そんな出会いでした。そのバイトはまず、朝の出前下げから始まります。なんとそれが終わらないと朝ごはんが食べられなかったそうです。
剣寿司の仕事のリズムは、朝ごはん11時、お昼ごはんは16時、夜のごはんはお店が終わってから、そんな感じです。とにかくお腹がすいてた店長は、よくポケットに塩おにぎりを作って出前下げに出掛けてったそうです。
無事に朝ごはんを済ませ、お昼を迎えると電話がなり、さあ出前の始まりです。出前に出掛けた幼い店長は、犬に吠えられ、寿司桶を落としてしまい出前宅の前できれいに詰め直して持って行く事もあったそうで問題になったり、ならなかったり。必死の毎日だったそうです。
お昼のラッシュが終わると、今度は出前下げした器を洗い、海老の皮むき、数の子の皮むき、米研ぎなど裏方の仕事はいくらでもありました。16時になりお昼ごはんを済ませ、ちょっと休憩休憩と休んでいるとリリリリリーンと、電話がなり夜のラッシュの始まりです。休む暇のないくらい出前、出前、出前、洗い物、出前、出前といった感じで気がつけば時間は21時になり、お仕事終了で晩ご飯の時間がやってきます。店長はこの時間が1日の中の1番の楽しみでカウンターで出たお刺身のテクズといって端っこや、うにいくらなど当時の店長からしたら、ありえないぐらいの晩ご飯でした。
そこで2歳か3歳の私の登場です。
忙しいと近所のお米屋さん(関根米店)、自転車屋の鈴木さん、酒屋さんの片柳さんなどに預けられていたらしく店が落ち着く頃に戻ってくる、そんな感じでした。
 ある日、事件が起きました。クッタクタの店長が晩ご飯を食べていると、構ってもらいたい私がちょっかいを出すのですが、店長は構ってくれずにいました。そこで私は店長のちらし寿司のナルトを食べてしまいました。幼い店長は、激怒!!私は大泣きしてしまいました。それを見た社長は、(てめえ、大須賀なに泣かしてんだあ!!)と怒られて謝る。私は、ニコニコなんてこともありました、三丁目の夕日ちっくな日々でした。
 プライベートでは、店長のことを大須賀兄ちゃんと呼びます。会社には、〇〇兄ちゃんと呼ぶ人は1人になりました。1日の仕事量は、店長に適う人はいませんが、辛いの一言どころか働ける場所がある、仲間がいることに感謝してる空気さえ感じます。これも昔からの剣寿司魂のようです。今にない何か感じます。。

さて暦もゴールデンウィークを迎え祝日が続きます。剣寿司では春の剣寿司祭として様々なサービス、おもてなしをもちまして御待ちしています。皆様お体に気をつけて楽しい休日を。

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